アフガニスタンに生涯を捧げた中村哲医師の志・行動力・功績 紹介 ! 薬よりも大切なものがある!中村医師の生涯【世界一受けたい授業】

お役立ち

 

こんにちは、yojipapa です。

 

今回は、【世界一受けたい授業】で紹介された、「アフガニスタンに生涯を捧げた中村哲医師の授業」の内容をお伝えします。

 

番組名

世界一受けたい授業
アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の授業!独学で作った用水路で不毛の土地を緑の大地に

出演者

【校長先生】
堺正章

【教頭先生】
上田晋也(くりぃむしちゅー)

【学級委員長】
有田哲平(くりぃむしちゅー)

【先生】

【生徒役ゲスト】
乙葉、坂口健太郎、佐藤栞里、千原ジュニア、登坂淳一、富田望生

 

アフガニスタンに生涯を捧げた中村哲医師の志・行動力・功績 紹介 !             薬よりも大切なものがある!中村医師の生涯【世界一受けたい授業】

「100の診療所より1本の用水路を!」医師 中村哲さんの生涯を紹介してくれるのは、
アフガニスタンで共に活動していた、NGOペシャワール会 元現地活動協力者の目黒丞先生です。

中村医師は1年のうち約8か月を現地で指揮をとり、
4ヵ月ほどを日本で講演活動や九州の病院で働いて生活費を確保されていたそうです。

アフガニスタン・パキスタンで35年以上も医療支援を続けながら、

餓死寸前の27万人の難民の命を救い、

医師でありながら「薬よりも大切なものがある!」と、
ノーベル平和賞候補にもなっていた中村医師の驚くべき行動力の紹介です。

中村医師は生前にこう言っています。
「ほとんどの病気は十分な食べ物と清潔な飲料水があればかからない。飢えや乾きは薬では治せない。」と。

中村医師は、干ばつによる現地の悪い衛生状態と泥水まで飲む子どもの栄養状態と良くないと、まず初めに行ったのが井戸掘りだったそうです。

生きていく上で必要不可欠の清潔な水を確保するため、
中村医師は井戸の中にまで入り率先して作業を行い、

最初の1年間で掘られた井戸は600本にもなったそうです。
井戸掘りの資金は日本で集められた寄付金で、現地の人に日当1日100~200円(1家族が1日生活できる金額)を支払うことでアフガニスタンの人々の暮らしも支える目的があったそうです。

2001年9月11日、

アメリカで同時多発テロが発生し、タリバン政権下のアフガニスタンが空爆の標的になり、
中村医師ら日本人スタッフは隣国のパキスタンへ避難されたそうです。


戦火の中でもパキスタンの活動拠点からアフガニスタンの難民に食糧支援を行い1家族あたり3か月分の食糧が配給され27万人以上の命をつなぐことができたそうです。

タリバン政権が崩壊し、中村医師がアフガニスタンに戻れたのは、

避難してから4か月後の2002年1月

そこで中村医師が目にしたのは、

干あがってしまった農地でした。
せっかく井戸を掘ったのに農民がいなくなってしまったのです。

中村医師は、「このままではこの国に未来はない。」と考えに考えた末、

雪解け水が流れる川から、

干上がった農地まで用水路を作るというものでした。

中村医師は、

独学で土木の勉強を行った用水路の構造は、

まず川に堰を作り水を集め、
取り込む水の量を調節するために取水口に水門を作り用水路内部に水を流す計画です。

中村医師は工事着工前にスタッフを集め、こう宣言しました。

「議論はいらない。実行あるのみ。」(英語)

強いリーダーシップで工事を始めたのが、

2003年3月、600人が作業に参加したそうです。

中村医師が用水路建設のためにこだわったのは、

・特別な材料は使わない
・現地の人の手で維持や管理できること

中村医師は自ら重機を操縦しできることは何でもやったそうです。

そして着工から1年が経った、

2004年3月に、用水路が1500mほど出来あがったところで、

試験通水で水門を開けると、

水が用水路を順調に流れます。

現地の人は、
「水があれば農業ができる そうすれば平和に暮らせる もう難民にならなくていいんだ」と。

用水路着工から4年後には、

全長13kmまで完成したそうです。

引き込んだ川の水のお陰で、

干上がった農地も、

以前のように稲やとうもろこしなど多くの作物が実ることができました。

そして2008年に、

農民の人たちが安心して暮らせるように、

イスラム教徒の村人が心の拠り所として祈りを捧げる礼拝所モスクとマドラサと呼ばれる学校の建設を着工し、

翌年の2009年に完成したそうです。

マドラサでは、

600人の子どもたちが無償で読み書きや算数を学ぶようになったそうです。

それと同時に、

より多くの農作物が採れるよう用水路を延長し、

「死の谷」と呼ばれる砂漠の開拓に挑戦し、2009年に約25kmの用水路が完成し初めて砂漠に水が送られました。

中村医師の大胆な発想から生まれた計画により砂漠に稲穂が実ることができました。

現地の方は、「まさか砂漠で稲刈りができるなんて、このことを人に話しても信じてもらえないんだ。」と。

他にも、

畑ではカブやスイカなどを収穫し、

農地の水路では、子どもたちが魚捕りを。

遠い異国アフガニスタンで人々の苦しみを目の当たりにして、
その現実から目を背けずにアフガニスタンの人々のため人生を捧げた中村医師。

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