アフガニスタンに生涯を捧げた中村哲医師の志・行動力・功績 紹介 ! 薬よりも大切なものがある!中村医師の生涯【世界一受けたい授業】

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2019年12月4日、

中村哲医師は、アフガニスタンで車で移動中に銃撃され亡くなりました。(享年73)

活動を続けるアフガニスタンでの悲劇でした。

現地では多くの市民が追悼集会を開き、

アフガニスタン大統領自ら中村医師の棺を担ぎ、

現地の航空会社(カーム航空)は機体の尾翼に中村医師の肖像画を描き追悼。

世界的ロックバンド「U2」は、中村医師が亡くなった翌日の日本でのライブで、

「great Tetsu Nakamura。great man。」(偉大なる中村哲医師・偉大な人)と、

何度も中村医師の名を呼び追悼。

志半ばで無言の帰国となった中村医師の訃報は、様々なメディアで報じられました。

事件後の告別式では、

中村医師のご長男 健さんがコメントを発表されました。

父がアフガニスタンへ旅立つとき
私と二人きりで話す場面では いつも「お母さんをよろしく」「家を頼んだ」

「まあ何でも一生懸命やったらいいよ」と言っていました
その言葉に父の家族への気遣い・思いを感じていました

私自身が父から学んだことは 家族はもちろん 人の思いを大切にすること
物事において本当に必要なことを見極めること

そして必要なことは 一生懸命行うということです

この先の人生において 自分がどんなに年を取っても 父から学んだことを
いつも心に残し 生きていきたいと思います

多くの人にその死を悼まれた中村医師、

砂漠化した不毛の地を、

実り多き大地に変えた中村医師。

「100の診療所よりも1本の用水路」
なによりもこの国に必要なのは「水と食料」

そんな中村医師の思いが戦争や干ばつで苦しんでいたアフガニスタンの人々を救ったのです。

農作物を作れるようになった現地の方は、

「人は忙しく仕事をしていれば戦争のことなど考えません」

「仕事が無いからお金のために戦争に行くのです」

「お腹いっぱいになれば誰も戦争など行きません」と言います。

中村医師はこう言います。

「本当の安全保障というのは人間が平和に生きて暮らしていく事ですから決して武器では解決できない問題がたくさんあると思うんですね」

「三度三度のご飯が食べれて家族が自分の故郷で暮らせる。これに尽きると思うんです」

「自分たちの手で色々な事ができる!やればできるんですということですよね」

中村医師が亡くなられた2日後にアフガニスタンで生まれた男の子の赤ちゃんには、

「ナカムラ」と名付けられたそうです。

 

 

いかがだったでしょう。

 

沢山のことを教えてくれた中村医師の生涯。

その志と行動力で多くの人の心を動かし、
アフガニスタンの暮らしと命を救った中村医師。

中村医師にはノーベル平和賞を捧げ、
その功績を世界中の方に知ってもらいたいです。

ご長男の健さんが父から学んだこと、
人の思いを大切にすること 物事において本当に必要なことを見極めること

わたしも我が子に伝えたいと思いました。

 

 

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