1949年広島で生まれます。
幼い頃、父は亡くなり母は家出。
不憫に思った祖母が育ててくれたそうです。
少年時代は貧しさで辛かったそうです。
その時に出逢った音楽が、
ビートルズです。
矢沢さんの人生のたった一つの救いが”ロック”だったそうです。
「僕 ビートルズ聴かなかったら歌手にならなかったと思うね。」
「雷がドーンと落ちたくらいの衝撃を中3、高1で受けて もう絶対ロックシンガーになろうと思ったね。」
と、矢沢さんは言います。
ギター1本を持ち、18歳で広島駅で夜行列車で東京へ。
怖い気持ちを抑え、自分を映画の主人公として置き換えられなければ、
「あの夜汽車で最終電車でこう乗っていけないですよ。」と。
そして東京を目指しましたが長旅でケツが痛くなった矢沢さんは、横浜で途中下車します。
たとえ、客が一人でも「ビッグになってやる!」との思いでロックを唄い続けた矢沢さん。
23歳、長い下積みを経てロックバンド「CAROL」でデビュー。
革ジャンにリーゼントで放つロックンロールで社会現象を巻き起こし矢沢さんは”カリスマ”となりました。
そして、26歳でソロとなり「もっと上へ」と走り出します。
そして、矢沢永吉激論集「成りあがり」は若者の心を突き刺しました。
「オレ2番嫌い、1番ならなきゃ」「成りあがり、大好きだね」
「いつの時代だったやるやつはやるのよ やらないやつはやらない」
矢沢さんは48歳で人に騙され、35億の借金を背負ったそうです。
でも、唄って唄って返しきりました。
錆びない言葉、全身からほとばしる情熱、自分だけを信じあがいてあがいて上りつめた男。
その生きざまの説得力が5万人を熱狂させる。
69年 ブレずに生き抜いた男 ”矢沢永吉”
矢沢さんが70歳を迎える9月に発表するアルバム、
そのタイトルは、
「いつか、その日が来る日まで…」
「同じことばっかり繰り返して あっという間に 何 もうこの年なのかい?っていうのが僕の感想なんですよ。」
「だから それで思ったときに いつなんだろう? 」
「もう喉なのか腰なのか足なのかいろんなところを老いてみて 」
「もうそろそろ もういいねっていうのが絶対来ると思う 」
「それまでってこと思ったら このタイトル黙ってもそう思ったんですよ 」
「いつか、その日が来る日まで… 」
と、矢沢さんは言います。
今回のアルバムは、
「やっぱり 同じ世代の人たちがこれ聴いて 年取ることもそんな悪いことじゃないよね 年取ることはそんな怖いことでもないよね っというようなアルバムになってくれたら俺 いいなと思うんだけど。」
「年取ることは そんな悪いことじゃないよって。」
と、矢沢さんは言います。
最後に、矢沢さんはこう言います。
「人生って面白い。」
「バカかもしれないけど ロマンティストでいたいね。」
「これからの残りの人生。」
「残りの人生僕なりにロマンでありたいなと思うね。」
ロックスターになってやる
その思いを音で叩きつけた
カススマとなった、
その男の名は、
矢沢永吉
KING OF ROCK
いかがだったでしょう。
矢沢さんの魅力を伝えられていたら嬉しいです。