こんにちは、yojipapa です。
今回は、日本テレビ特番【誰も知らない明石家さんま】で紹介された、芥川賞作家の又吉直樹 脚本で、亡き師匠との物語をドラマ化した「さんま師弟物語 さんまが初めて人前で泣いた日」の内容をお伝えします。
番組名
誰も知らない明石家さんまタブー解禁5連発!元妻と再会…40年ぶり母校へ…
出演者
【MC】
明石家さんま
【アシスタント】
市來玲奈アナウンサー
【ゲスト】
稲垣啓太、唐田えりか、新川優愛、滝沢カレン、成田凌、眞栄田郷敦、Matt、東野幸治、後藤輝基、渡部建
【ロケ出演】
りんごちゃん、アインシュタイン
感動物語!さんま師弟物語「さんまが人生で初めて人前で泣いた日」 ~ さんま 尊敬する師匠の大切な言葉「生きてるだけで丸儲け」~
明石家さんまさんの座右銘、「生きてるだけで丸儲け」
この言葉は、さんまさんがこの世で一番尊敬している人から影響を受けた言葉。
その人物の名は、
今年、亡くなった、
笑福亭松之助。さんまさんの師匠。
この方に出会っていなかったら、
明石家さんまは存在しない。
さんまさんは、
「すごい面白かった。」
「この人センスある。」と思って、
この人だったらと思って、弟子入りしたそうです。
「師匠がいなかったら、この世界に入っていない。」と。
人前で絶対、涙を流さないさんまさんが、
人生で一度だけ泣いたことがある。
尊敬する師匠の前で一度だけ。
さんまさんとその師匠の物語です。
さんまが泣いた日
1973年、
一人で京都花月を見に行き、
どんなに客席が湧いていても、
一切、笑わず「プロよりも絶対に自分の方が面白い」と確信していた。
そう、
一人の芸人を見るまでは・・・
漫談風の新作落語を披露した笑福亭松之助は、
軽妙な語り、するどい着眼点、卓越した言葉選びが抜群で、
思わず吹き出し、腹を抱えて笑った。
「笑福亭松之助 スゴい。」
「俺よりずっと面白い。」
自分より面白いと思える人間が存在したのです。
この出会いが人生を大きく変えることになるのです。
すぐに弟子入りを志願するため、京都花月の楽屋口で待ち、
「弟子にしてくれませんか?」
「あなたセンスありますから。」と。
弟子入りを志願する。
すると突然、行きつけのラーメン屋に連れて行き、
「この世界は簡単に飯は食っていけないよ。それをわかっているんだったらいいよ。」
と、笑福亭松之助の弟子となった。
弟子の期間は2年、
師匠の教えは独特のものだった。
ある日、掃除をしていると、
師匠が「そうじは楽しいか?」と。
「だったら、どうしたら楽しくなるかを考えろ。」と。
掃除を楽しくしようと工夫していると、ある事に気づきます。
「掃除が楽しくなることはない。ただ、楽しい事を考えている時は楽しい。師匠はそれが言いたかったのかもしれない。」
こんな重要な気づきを師匠は沢山与えてくれた。
仕事が終わった後、師匠のカバンを持とうとすると、
「俺のカバンは俺が持つ。」
「俺のカバンを持って噺が上手くなるわけがない。そんな事する暇があるんだったら、外を歩いて世間を見てる方がお前のためになる。」
その時間で、映画や舞台を見て過ごしたり、
近所の公営にいた女の子を笑わせたりしていた。
それは、師匠が与えてくれた「時間と習慣」だった。
でも何もしないのも弟子らしくないので、
どんなことがあっても師匠の着物だけは丁寧に畳むようにしていた。
「面白い人が着た着物だ。」と。
弟子入りしてから数か月が経ち、師匠の自宅で芸人仲間と宴会をした。
「杉本、お前の芸名をつけようと思っている。実家は魚屋だったよな。」
「だったら、さんまだ。今からお前の芸名はさんま。」
「少々変な名前であっても、世間に違和感なく浸透させるほどの芸人に育ってほしい。」
そんな師匠の期待が込められていたのを知るのは、もっと後のことだった。
1974年、師匠に支えてもらいながら、
落語家として初舞台を踏むことができた。
実は、この時一つ大きな悩みがあった。
付き合っていた彼女の両親が貧乏芸人との交際を大反対。
「彼女をとるか、師匠との芸をとるか。」で悩んだが、
彼女と駆け落ちをして、東京・小岩へ逃げるように映り住んだ。
芸人を辞めた。
尊敬する師匠を裏切ってしまったのだ。
芸人を辞めてから半年後。
東京での生活に行き詰まり結局、彼女とも別れ、
あの日と同じように、師匠を待っていた。
「師匠!すみませんでした!もう一度、」
「何も言うな!飯いくぞ!」と、師匠は、何も言わせずに、
連れていかれたのは、弟子入りした時に連れてきてくれた特別な場所。
次ページは、
さんまさんが人前で唯一、人前で流した師匠の言葉です。