感動物語!さんま師弟物語「さんまが人生で初めて人前で泣いた日」~ さんま 尊敬する師匠の大切な言葉「生きてるだけで丸儲け」~

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師匠がさんまさんへ贈った最後のメッセージ

 

11年前、笑福亭松之助 芸能生活60周年記念イベントで、

 

 

師匠と久しぶりに共演した。

 

当時83歳だった師匠は、

 

 

高座に上がり、独演会をした。

 

楽屋で、あの頃と同じように、

 

 

師匠の高座が終わったら、

 

 

 

熱いおしぼりと水を用意して。

 

 

23年前、師匠はこう語っていた。

 

 

「時々、観ますけどね。」

 

 

「精一杯やってるんちゃいます。」

 

 

「それだけはわかる。」

 

 

「精一杯やってるな。」

 

 

めったに褒めない師匠が珍しく褒めてくれた。

 

 

「彼は人を笑わせて、それが自分の楽しみになる。」

 

 

「これこそ芸人の神髄です。」

 

 

「出会った時から変わらず。」

 

 

「今もそれを一生懸命にやっています。」

 

 

「彼とは波長が合うんです。」

 

 

「一番 絆が深い男ですから。」

 

 

 

いかがだったでしょう。

 

笑福亭松之助師匠と弟子の明石家さんまさんとの深い絆の物語でした。

師匠の素晴らしい教えと人間性を感じる物語でした。
さんまさんには、こんな素晴らしい師匠がいたのですね。

師匠は立派に育った弟子の活躍がとても嬉しかったと思います。

そして、
さんまさんが一番尊敬している人から影響を受けた言葉。

「人間っていうのは、裸で生まれてきて、服一枚着てたら勝ちなんだ。」
「1回オモツでもすれば、もう人生勝ちだ。」

この言葉から生まれた、

生きてるだけで丸儲け

笑福亭松之助師匠の人生は、まさに圧勝だったと思います。

圧笑の方がいいでしょうか。
(^ – ^

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

ウィキペディアでは、このように明石家さんまさんを紹介されています。

明石家さんま

笑福亭一門の定紋である「五枚笹」

【本名 杉本 高文(すぎもと たかふみ)
【ニックネーム】 さんまさん さんちゃん お笑い怪獣 ミスター27時間テレビ
【別名義】笑福亭さんま(旧名)
【生年月日】1955年7月1日(64歳)
【出身地】日本の旗 日本・和歌山県東牟婁郡古座町
【血液型】B型
【身長】172 cm

【最終学歴】奈良県立奈良商業高等学校[2] (現・奈良県立奈良朱雀高等学校)

【師匠】2代目笑福亭松之助

【事務所】吉本興業(マネジメント)

【オフィス事務所】(個人事務所)

【活動時期】 1974年 –

【同期】
島田紳助
関根勤
オール阪神・巨人
桂小枝
桂千朝
桂吉朝

【現在の代表番組】
痛快!明石家電視台
踊る!さんま御殿!!
ホンマでっか!?TV
さんまのお笑い向上委員会
ほか

【スペシャル番組】
さんまのまんま
FNS27時間テレビ
明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー
さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル
さんタク
さんま&くりぃむの芸能界㊙︎個人情報グランプリ
さんまのホントの恋のかま騒ぎ
明石家さんまのコンプレッくすっ杯
明石家さんまの転職DE天職
さんまの東大方程式
さんま&女芸人お泊まり会
ほか
過去の代表番組 オレたちひょうきん族
笑っていいとも!
明石家さんちゃんねる
あっぱれさんま大先生
明石家マンション物語
恋のから騒ぎ
さんまのSUPERからくりTV
ほか

【配偶者】大竹しのぶ(1988年 – 1992年)

【親族】IMALU(実娘)

【受賞歴】
1982年 花王名人大賞 新人賞
1982年 日本放送演芸大賞 ホープ賞
1983年 日本放送演芸大賞 奨励賞
1985年 日本放送演芸大賞 優秀賞
1985年 花王名人大賞 大衆賞
1986年 ゴールデン・アロー賞 芸能賞
1986年 日本放送演芸大賞 特別賞
1987年 日本放送演芸大賞 大賞
1999年 ギネス・ワールド・レコーズ
(日本で最も露出の多いテレビスター)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

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